2011年10月22日
OCAは、北海道釧路の沿岸において、2003年より毎年シャチの調査を行ってきた。
今年の調査の期間は10月18日~24日である。現地からの報告だとまだシャチの発見はないようだ。イルカは昨年より多いらしい。
今日は、大阪湾にやってきたシャチの物語を紹介する。
大阪湾の入り口の明石海峡に雌雄のシャチが現れ、約2ヶ月間その周辺海域に居座ったことがあった。今から50年以上前の1957年のことである。漁業生産活動に与える影響が懸念されたことから、兵庫県水産課などによるシャチの撃退・捕獲大作戦が、大阪湾~播磨灘において展開された。その様子は地元メディアによって大きく報じられた。
4月7日神戸海上保安部の巡視船から、米軍から借りた自動小銃をシャチに向けて掃射した。銃弾は命中したが撃退には至らなかった。
出動要請を受けた和歌山県太地町の捕鯨船3隻が神戸港に到着し、4月14日から捕獲のための行動を開始した。17日朝シャチ発見の連絡が捕鯨船にもたらされた。捕鯨船は家島周辺の海域に急行した。三方より2頭のシャチを包囲し、大きい方の雄目がけて銛を撃ち込んだ。大きな音が天に轟き銛が命中した。もがき苦しむ体から鮮血が流れた。5発目で絶命した。
雄の異変に際し、雌はその周囲を泳ぎ回り立ち去ろうとしなかった。その間、捕鯨船などに対して威嚇のためのジャンプやテイルスラップを繰り返したが、1時間後ようやく姿を消した。この2頭のシャチは当時「夫婦」として報じられた。捕殺に関わった関係者やこの報道に触れた多くの人がシャチの「夫婦愛」に涙した。
かくして、シャチ騒動は幕を閉じた。
さて、2頭のシャチはほんとうに「夫婦」だったのか。その証拠はない。日本周辺に来遊するシャチの社会構造についてはよくわかっていないが、北米西海岸に来遊するシャチの群れの構成などを考えると、明石海峡に現れたシャチは、「夫婦」以外の別の間柄だった可能性がある。母子や兄妹などといった血縁の関係である。
捕殺されたシャチは神戸市立須磨海浜水族園に骨格標本として現在も展示されている。標本の解説には、体長7.9m、体重約7トン、推定年齢20歳、5~6頭のスナメリを食べていたことなどが記されている。
写真は、OCAの調査で撮影された雄のシャチである。明石海峡に現れたシャチではない。
近藤