2011年12月12日
先月、三重県の熊野市甫母にある熊野養魚を訪問した時のことである。
http://cblog-eco.oca.ac.jp/blog/2011/11/index.html
約束の時刻まで少し時間があったので、
となりの集落の二木島というところにある鯨の供養塔を一目見ようと車を走らせた。
二木島に到着し、土地のことならなんでも知っていそうな古老に話を聞くと、
その人のお家のすぐ近くに供養塔はあるとのこと。
案内に従い石段を登るとそれは立っていた。
日本には鯨・海豚の供養塔や記念碑などの建造物が130基以上ある。
その最古のものが、この「鯨三十三本供養塔」だ。
三重県の有形民俗文化財に指定されており、解説には以下のように記されている。
「「鯨は古くは大魚、勇魚と書かれた。食用、油、細工ものに利用されて、
一頭とれば七浦潤ったという。熊野はわが国の捕鯨発祥の地として、
熊野灘沿岸、 九十九浦に鯨方があったといわれ、甫母、二木島、遊木、古泊、
木本などにあった。
特に二木島は、捕鯨の基地として格別の賑わいを見せた。
この碑は寛文11年(1671年)に建てられたもので、中央に「鯨三十三本供養塔」、
右に「寛文11竜集辛亥」、左に「三月吉日木下彦兵衛建」と彫られている。」」
二木島では、明治から大正期にかけても捕鯨が行われた。
漁期は冬から春で、シロナガスクジラ、ザトウクジラ、イワシクジラ、
およびマッコウクジラなどが捕獲されていたようだ。
郷土史によると、明治40・41年漁期~大正3・4年漁期の8漁期の捕獲数の合計は295頭であった。
明治40・41年漁期に110頭が捕獲されたが、その後大きく減少し、
大正3・4年漁期における捕獲数は5頭であった。
鯨の来遊数が減ったのであろう。乱獲がひとつの原因と考えられる。
近藤